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2019/04/02 ツアー情報

【あと一息で催行確定】太古の大自然と文化に触れる旅カナダ・ハイダグワイへ!

創業50周年を記念した特別企画として5月20日出発
太古の森ハイダ・グワイからバンクーバー島へ。インサイドパッセージの旅 10日間企画しました。

1日2~3時間程度の簡単なハイキングですのでどなたでもご参加いただけます。

少人数催行。あと一息で催行確定です。募集期間は4月5日までですのでお早めにご検討ください。

下記はまだあまり知られていないハイダグワイについての紹介です。少し長いですが興味ある方はぜひご一読ください!!


ハイダ族の地ハイダグワイ
ハイダグワイ( Haida Gwaii )は、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州の太平洋岸沖100キロメートルほど西にある群島で、アラスカとの国境にも近い北緯52度から54度に位置しています。群島全体は鋭い逆三角形をしており、総面積は約10,180平方キロメートル。岐阜県(10,21平方キロメートル)ほどの面積があります。北のグレアム島と南のモレズビー島を中心に大小約150の島々からなり、現在は4000人ほどの人々が暮らしています。
かつてはクイーン・シャーロット諸島( The Queen Charlotte Islands )と呼ばれていましたが、この地と共に歩んできたカナダ先住民族(ファーストネイションズ)のハイダ族の歴史を尊重し、植民地的な名称の代替として2010年に正式にハイダグワイという名称になりました。「ハイダグワイ」には、ハイダ族の言葉で「人々の島」という意味があります。
島の気候は、遥か日本から流れてくる暖かな黒潮の影響もあり、高緯度に位置しているにも関わらず1年を通じてとても穏やかです。年間を通して降り注ぐ豊富な雨により、島全体は「レインフォレスト」と呼ばれる豊かで深い森に覆われ、人里から離れた森林部には悠久の時に育まれた太古の森が広がります。


ハイダグワイの歴史
島周辺の海域からは約13,000年前の居住地が発見されており、遥か昔よりこの地に人々が暮らしていたことを知ることができます。最後の氷河期の時代、ハイダグワイとその遥か南に位置するバンクーバー島、そしてカナダ本土は陸続きでした。ユーラシア大陸からベーリング海峡を経て北アメリカに渡ってきた人類は、様々なルートで北米大陸を南下していきますが、中でもハイダグワイ周辺は最も古いルートの一つと考えらています。そして、この地に定住した人類の子孫がハイダ族の人々です。
島周辺の海域は魚類が豊富であり、毎年春から秋にかけては数百頭ものザトウクジラが豊かな漁場を求めて回遊してきます。また、サケ、オヒョウ、ニシン、貝類などの海の幸に恵まれており、ハイダの人々は物質的に恵まれた暮らしを送っていたと考えらています。しかし、18世紀後半にヨーロッパ人が島へ入植することで、島は大きな悲劇に襲われます。
18世紀後半にヨーロッパ人とハイダ族の間で毛皮交易が開始されると、ヨーロッパから天然痘などの伝染病が島に持ち込まれました。死亡率の高い天然痘ウィルスはカナダ全土の先住民族の間で広まりましたが、島で暮らすハイダ族は特に免疫力が弱く、その被害は非常に大きなものでした。1800年代には人口の約90パーセントが死亡したと推定され、生き残った人々の多くは島を離れていく結果となりました。かつて20,000人以上が暮らす島の住民は1900年にはわずか350人が残るだけとなり、ハイダ族の村々は放置されて廃墟と化していきました。
現在、島には多くのハイダ族の末裔が暮らしています。ハイダ族は文字を持たないため、彼らの文化は世代から世代へと口承により語り継がれてきました。現在、島に暮らす先住民族の人々は、先祖から受け継がれた伝統行事や文化を引き継ぎ、語り部としての活動や工芸品などを通してハイダの文化を私たちに伝えてくれています。


ハイダ族のトーテムポール文化
ハイダグワイのトーテムポールは、作家、星野道夫さんの本にも登場します。
「二十一世紀に入ろうとする現代に、どこかの森で、ひっそりと眠るように残る古いトーテムポールを見ることができないだろうか。新しく観光用に作られたものでも、博物館に陳列されているものでもない、森の中に倒れていても、朽ち果てていてもいいから、彼らの神話の時代に生きたトーテムポールに触れてみたい。アラスカの森を旅しながら、ここ何年かその想いがずっと募っていた。」(引用元)旅をする木/トーテムポールを探して星野さんは南東アラスカで自然のままに残されたトーテムポール探すも見つからず、人づてに聞いてハイダグワイ(当時クイーン・シャーロット諸島)を訪れるエピソードが収めらています。
トーテムポールとは、北米大陸の北西部沿岸部(主にカナダ、ブリティッシュコロンビア州とアラスカ南東部周辺)のみで発達した彫刻の柱であり、家の歴史、氏族の富などを示した「紋章」のようなものでした。一つのトーテムポールにはワシ、シャチ、シロヤギ、ハイイログマなど複数の動物が掘られており、それぞれが家族の家系や立場などを表現していました。トーテムポールは部族によりデザインや傾向が異なりますが、ハイダ族のトーテムポールは大胆なデザインのものが多く、彫りが深く力強い装飾が特徴です。これは、ハイダグワイが島社会であり、他の民族の影響を受ける機会が少なかったことで、独自のものへと発展してきたためと考えられています。
トーテムポール文化は19世紀の中ごろにピークを迎えましたが、その後急激に衰退していきます。先住民にとってのトーテムポールとは、決して偶像崇拝の対象物ではありませんでしたが、土着の偶像を嫌ったキリスト教の宣教者の指導により徐々衰退していきました。また、1885年にカナダ連邦政府がトーテムポール作りと密接に関係した催事「ポトラッチ」を禁止したことにも衰退の原因となりました。現在、ハイダグワイの多くのトーテムポールは既に朽ち果て、わずかに島に残ったトーテムポールも、残り数十年の寿命と言われています。


ハイダ族の暮らしと自然観
ハイダ族は「自然との共存」を体現してきた民族でした。島周辺の海域は非常に豊かな漁場に恵まれていたものの、資源は無限にあるわけではありません。彼らは貴重なサケの資源を守るため、サケが遡上する川を守り、その川が流れる森を守ることで、子孫に資源を残していく努力を怠りませんでした。また、ハイダ族は非常に優れた航海術を持っていたことでも知られており、高度な工芸品の文化も継承してきました。島の森はレッドシダー(スギ)やヘムロック(ツガ)の巨木に覆われ、これらの木材は家やトーテムポールなどの工芸品、カヌーなどの貴重な資源として大切に保護されました。彼らハイダの人々の自然に対する価値観とは、自然は克服し、自分たちの都合の良い(快適な)ものへと変えていく当時のヨーロッパ的な価値観とは真逆のものであったと言えます。彼らは身近な自然をあるがままの姿で守ることが、自分たちの生活を末がなく豊かにしてくれることを知っていたのです。
現在、島の一部はUNESCOの世界遺産にも登録をされていますが、放置された村やトーテムポールは修復されることなく、ただ朽ち果てるのを待っています。ハイダの人々はトーテムポールを他の場所で保存することを拒否し、自分たちの土地で朽ち果て、自然に還ることを望みました。彼らにとってのトーテムポールは、建立することにこそ意義のあるものだったのです。ハイダグワイに残されたトーテムポールは朽ち果て、土に帰ろうとしています。その場所には苔が生え、新たな生命を生み出していくのです。現在、ハイダ族など北米の先住民族の価値観は再評価が高まり、注目を集めるようになってきました。ハイダ族が育んできた木の文化は、形を残すことに固執しません。目に見えて残るものではなく、見えないものにこそ本物の価値があるという彼らの自然観は、21世紀を生きる私たちにとっても大切な教えがあるように思います。