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2022/03/18 お知らせ

【七年に一度の善光寺御開帳】善光寺街道特集

【七年に一度の善光寺御開帳】

善光寺街道について
街道整備は豊臣政権による全国統一からはじまり、これを引き継いだ江戸幕府によって、江戸を中心に各地の城下町をつなぐ全国的な網の目が完成しました。善光寺街道は北国往還としての中山道洗馬の分去れから篠ノ井追分までと、それより北の善光寺にいたる北国街道のエリアに分かれます。北国街道が慶長16年(1611)に、松本領洗馬~麻績間は慶長19年(1614)に成立したことから、善光寺街道の成立は慶長19年(1614)が定説とされています。街道には一里塚や橋・渡し場・関所などの施設が整えられましたが、中でも宿場は街道整備の要でした。善光寺街道成立時の宿場は郷原~村井~松本~刈谷原~会田~青柳~麻績~稲荷山~丹波島~善光寺の10宿で、その後に岡田や間宿が整備されました。今回訪れる宿場にはそれぞれ特徴がありますが、出入り口の多くが直角に曲げられた「鉤の手」になっていますので、宿場散策の際にはぜひ注目してみてください。
 

善光寺宿
善光寺門前に開けた宿場。江戸時代から「遠くとも一度は参れ善光寺」と語り継がれ、宗派の別なく誰でも分け隔てなく受け入れる庶民の寺として多くの参拝者が訪れている。2022年は七年に一度の前立本尊御開帳が行われる。

松本宿
信州随一の大都市にして、国宝・松本城の天守閣がそびえる城下町。千国街道など各地への起点でもあり、様々な物資や人が集まる交通運輸や商業活動の中心であった。街道沿いには土蔵造りの街並みが保存されている。

青柳宿
土蔵、家並み、古い石垣に江戸時代の面影をしのぶことができる宿場町。用水路が石垣の下をくぐり抜け、石垣の中から流れ出てくる様は青柳宿ならではの特徴。山の上には戦国時代の山城を復元した青柳城址公園がある。

麻績宿
飛鳥時代、帰化人による麻紡ぎの技術が根付いていたことが名前の由来とされている。街道からは信州の枕詞として詠まれた冠着山(姨捨山)を拝観することができる。江戸時代の家並みこそ少ないが、静かな風情ある宿場町。

 

丹波島宿
善光寺前最後の宿場町。犀川を控え、丹波島の渡しがあったことで多くの参拝者や旅人が利用した。現在の丹波島橋南詰が、かつての渡し口。整然とした家並みの中にあり、随所にかつての宿場町の名残が見られる。

 
 
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