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2016/07/04 お知らせ

登山界“おちこち”の人、山岳図書の編集に携わり半世紀。月刊山と溪谷の元編集長、節田重節 さんに聞きました。

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平成28年7月10日 第384号
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インタビュー連載 第16回

山の世界の彼方此方で活躍している人々をたずね、「そうだったのか。」を聞き出します。

山岳図書の編集に携わり半世紀。月刊山と溪谷の元編集長、節田重節さんに、間近でみてきた日本の登山者気質の変遷と山岳情報入手法の変化、注目を浴びているロングトレイル振興の意義についても聞きました。

── 名門明治大学山岳部では、1年先輩の植村直己さんと山行をともにしました。植村直己冒険賞にも関係されています。

 植村さんの出身地である、兵庫県豊岡市の植村直己冒険館が主宰する、植村直己冒険賞の推薦委員の座長をつとめています。冒険賞は、推薦委員がこれは、と思う冒険を3、4件に絞り込んでから選考委員が受賞者を決めています。
 2015年の受賞者はカナダ在住のマッシャー(犬ぞり使い)、本多有香さん(43歳)が選ばれました。本多さんは大学時代、カナダを旅行し、犬ぞりに魅せられ、1998年からカナダや米アラスカ州の養犬場で経験を積み、2009年からカナダ・ユーコン準州の原野で犬たちと暮らしている人です。2012年に「ユーコン・クエスト」(米アラスカ州からカナダ)、2015年に「アイディタロッド」(アラスカ州)と、ともに約1600キロの「北米2大犬ぞりレース」に参戦して、日本人女性として初完走しました。本多さんのこれまでのライフスタイルなども含め評価されて受賞となったのです。
 植村直己冒険賞が始まって20年。“冒険”というテーマで行動できる場所が地球上で少なくなってきているから、冒険そのものが難しくなってきていると言えるのではないでしょうか。その中で新鮮で山だけでなく幅広く候補者を選び出していきたい。これまでにないユニークで植村直己さんに通ずる冒険です。植村直己さんに通ずる冒険とは、純粋で現地の人との交流を重んじ、知恵が溢れた行動です。自然のまま、文明化されていない、よりプリミティブな原始的ともいえる19世紀的な冒険です。
 明治大学山岳部時代の植村直己さんとは1年違いですから合宿はいつも一緒です。ごく普通でおとなしくて、田舎出の垢抜けない感じ。でもこつこつと粘り強く、むしろしつこい性格だったのです。日本を飛び出してからの数々の冒険や山岳登攀がその性格を表しています。

── 山と溪谷社入社以来、一貫して山岳雑誌、図書編集の第一線で活躍してきました。退職後のいまも日本山岳会の会報編集責任者です。読者を通じて、その時代の登山者気質をみつめてきました。インターネットによる情報入手が一般化するいま、落とし穴はないのでしょうか。

 1964年の大学4年生のときにニュージーランドへ遠征登山していますから、入社は1年遅れです。ニュージーランドの往復は船を利用しました。いまでは考えられないことです。
 1965年に山と溪谷社入社ですが、この年初めて“入社試験”(筆記と面接)がおこなわれたのです。当時の社員は35名。最初の1年は広告部で、その後は編集一筋で40年。山と溪谷本誌の編集長期間は、30歳のときから約3年半でしたが、編集部員の平均年齢が26.5歳でした。当時の山と溪谷読者の年齢層は18歳から23歳が最も多かったので、若者が若者の読む山岳雑誌を作っていたことになります。
 1950年代後半から60年代は、マナスル登山ブームで、70年代は、読者年齢層でもわかるように20代の登山者が圧倒的に多かったのです。70年代おわりから80年代にかけて中高年登山者が多くなってきたのです。1980年に「中年からの山歩き入門(単行本)」栗林一路著を出しましたが、山岳書としてはヒットし、1ヶ月で1万部を売りました。中高年登山ブームの走りとなったのです。1994年には日本百名山がNHK-BSで放映され、山と溪谷社が共同制作したビデオ、日本百名山(20巻1セット)が5万セット販売されました。引き続いて花の百名山も制作されました。1995年に岩崎元郎氏が登場する、「中高年のための登山学」がNHK教育テレビで放映されてから、中高年登山の人気がより高まってきたといえます。
 インターネットによる情報の取得の落とし穴として、まずあげられることは、編集者が介在する雑誌と違って、ネット情報はフィルターなしの生身そのままの情報だということです。自慢話や条件の良いときだけの報告など、偏った発信などもありますから、受け手側の咀嚼力や理解力が必要です。登りたい気持ちが先走り、実力が伴っていないミスマッチの山を選択してしまう危険もあります。登山者自身が自分自身を客観視できないと山でのトラブルにつながります。
 山と溪谷社で仕事を始めたころ、登山者自身は山についてとても勉強していました、山を学ぶ場として、学校山岳部や社会人山岳会があったわけですが、いまはネットや本などで、見よう見まねの登山者が多くなっているように感じます。登山コースが美麗な写真で実際より容易に書かれたガイドブックも多いのではないでしょうか。ガイドブックにはネガティブなことも書かれていることが大切なのです。著者、編集者とも登山ガイドブックの重要性をよく知って、遭難防止につなげるくらいの内容で編集能力も存分に発揮してほしいと思います。


── NPO法人日本ロングトレイル協会会長として、国内のロングトレイルの整備、振興に関わっています。地方観光活性化の有力な目玉としても注目されています。海外のロングトレイルに学ぶところもあります。

 2011年に日本ロングトレイル協議会からスタートして、2015年秋から長野県(小諸)のNPO法人日本ロングトレイル協会が発足しています。拠点は、小諸にある、「安藤百福記念自然体験活動指導者養成センター(安藤百福センター)」です。ここは、「食とスポーツは健康を支える両輪である。」という安藤百福氏(日清食品創業者)の理念によって建設されました。協会はロングトレイルの認定団体ではなく、ここに事務局を設置し、全国の18団体(トレイル)が加盟する、協会の本部機能を果たしています。
  北根室(71km)、十勝(100km)、信越(80km)、浅間(80km)、浅間・八ケ岳パノラマ(63km)、八ケ岳山麓(200km)、塩の道(120km)、霧ケ峰・美ケ原中央分水嶺(38km)、高島(80km)、国東半島峯道(124km)のほか、整備中や計画中のロングトレイルとして、奥津軽、南房総、南アルプスフロント、美ケ原高原、白山・白川郷、金沢、山陰海岸ジオパーク、広島湾岸があります。
 年2回、フォーラムを開催し、冬には全国集会として、お互いの団体がレベルアップできるような研究と討議をおこなっています。いま叫ばれている地方創生は、ロングトレイルのように実存していて、活用策が具体的で、いつまでも継続できるものこそ重要で、それら地方の活性化に資することははっきりしています。4年後の東京オリンピック開催年に向けて外国人の誘致のため各トレイルの英文案内書も作成にとりかかっています。四季に恵まれ、自然豊かな日本流のロングトレイルを世界に向けて発信したいのです。日本には、自然むき出しで荒々しい感じもする米国のロングトレイルより、フットパスの名称で愛されている英国的なトレイル歩きのスタイルがなじむのではないかと思っています。
 興味深い資料ですが英国のフットパスの経済効果は、イングランドで8千億円、愛好者は全人口の22%、ウェールズは715億円で30%、両地域合わせた総距離は22.5万kmです。スコットランドは3千6百億円で愛好者は33%で6万kmの長さがあります。英国全土での経済効果は実に1兆2千3百億円にもなります。
 英国では、「歩くこと」がライフスタイルとして定着、確立していることの証明です。こうしたトレイル整備と歩くことでの活用は、地方創生への鍵、そして目玉となるものではないでしょうか。
 日本のロングトレイルの誕生は、アパラチアントレイルを参考に大井道夫氏(当時厚生省)によって発案された東海自然歩道構想が発表された1969年。当時、山と溪谷姉妹誌の「HIKER」でこのロングトレイルの連載を企画し、スタッフ総出で約10区間に分けて実地踏査をおこなったのです。私にとってのロングトレイルとの出会いの原点ですから、それがいまの日本ロングトレイル協会での活動につながっていると思えば、まさに登山人生をつなぐ長いみちのりを感じます。

(インタビューおわり)
 

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 山と溪谷社創立60周年のとき、将来まで残る事業として、「槍穂高登山教室」が企画され、節田さんも私も毎夏、北アルプスの現場へ出ていました。槍穂高登山教室は、現在のヤマケイ登山教室につながっています。同社創立60周年、70周年記念催事は、当社主管でカトマンズで開催しました。思い起こせばこうした記念事業や催事、海外トレッキング取材は現場リーダーの節田さんがいたからできた、といまでも思っているのです。先日、日本山岳会会報の原稿校正の件で電話したら、節田さんは岩木山山頂におりました。いつまでも現場主義の人なのです。


(平成28年6月17日 聞き手:黒川 惠)