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2016/11/02 お知らせ

登山界“おちこち”の人、世界で活躍する10人の山岳写真家の一人、岩橋崇至さんに聞きました。

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平成28年11月10日 第388号
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インタビュー連載 第20回


山の世界の彼方此方で活躍している人々をたずね、「そうだったのか。」を聞き出します。


山岳写真を撮り続けて、50年。世界で活躍する10人の山岳写真家の一人、岩橋崇至さん。モノクロ写真展“北アルプス”が先月閉幕し、来年4月は、日本で初めて美術館での単独写真展が開催されます。岩橋さんに山岳写真との出会いと、これからの山岳写真の課題について聞きます。


──  ご尊父、岩橋英遠さんは文化勲章受章の著名な日本画家です。富士山や山岳、鳥など自然界をとらえた作品も多いようです。岩橋画伯の助手として、日本国内にとどまらず海外にまで足をのばされていたとか。


 私が中学生の頃、当時はまだ1ドル360円の固定相場制時代に父は画家仲間とヨーロッパへのスケッチ旅行に行っていました。その折に購入したライカを家族に見せびらかしていたのがカメラとの最初の出会いでした。その後、画家である父の運転手兼かばん持ちとして、助手の仕事をしながら、エジプトやネパールなど、海外へも一緒に出かけました。
 ネパールではカトマンズ郊外の丘に欧米スタイルで、コック付きでテント泊をしながら、父は作品を描いたのです。父は独学で絵を学んだこともあり、普通の絵描きさんより時間をかけて絵を描いていました。対象物はいつも写真におさめていましたが、どうもピントが合っていないようだ、と感じていました。原因は年齢を重ねていくにしたがって、シャッターを切るときの手振れがひどくなっていることでした。そこで代わりに私がシャッターを切るようになったのが写真撮影の始まりでした。


── 慶応義塾大学ではアルペンフェライン(山岳会)に所属され、多くの登山をおこなってきました。山岳写真家として世に出るきっかけはいつ、どんなところにあったのでしょうか。


 慶応義塾大学の山岳会では2年生のとき、19歳でしたが兄のニコンを借りて、山行記録などの撮影もおこなっていました。でもそれは山岳写真とはちがって、あくまでも仲間との山行の記録写真です。そのうちに、大学の三田祭でのカメラクラブの写真展へ、自分の写真を出展するようになっていました。
 慶応卒業後に日大芸術学部へ学士入学した当時、人とのつながりで山岳写真家の山下喜一郎さんの助手を努めることになりました。それがきっかけで創立してまだ1年と間もない、日本山岳写真集団にも入会することができ、プロスキーヤー植木毅氏の滝谷滑降の撮影をおこないました。春、5月の滝谷撮影ですからたいへんな思いをしました。このときに穂高岳山荘の今田英雄さんと出会い、スキー写真を撮影する多くの機会を得られたことは幸運でした。
 こうしたいまでいう人脈が広がって、スキーや山岳撮影などのプロの世界に本格的に入り込み、それが山岳写真家として仕事をはじめるきっかけとなったのです。右も左もまだわからないようなそんなとき、山と溪谷社から声がかかり、「谷川岳」を出版することになりました。それから谷川岳に通い詰め、本は1975年に発刊しました。この出版はプロの山岳写真家としての原点だと感じています。
 当時は登山ブームというより、日本山岳会のエベレスト登頂やヨーロッパアルプスでの日本人クライマーの活躍、国内での岩壁登攀新ルートの開拓など、本格的な登山が定着し、登山者数も増えている時代でもありました。日本経済の好況とも重なり、山岳関係の出版も多かったときです。世の中に発表される登山の記録や、山岳写真にも新しさや力があったからこそ、山岳図書や写真集がたくさん出版され、そこで山岳写真としてのひとつのジャンルが世の中に認められはじめたときでもあったと思います。


── 以前の著作に「北アルプス大百科」(TBSブリタニカ・2000年8月  現・CCCメディアハウス)があります。北アルプスを自然科学の視点からもとらえ、山岳写真家としてはあらたな挑戦の意気込みを感じました。近年、北アルプスはじめ多くの山岳は気象変動の影響を受けています。


 山の先輩が当時ブリタニカに勤めていた関係もあって、編集者の協力を得て2000年に発刊しました。その後、好評だったので再版・三版と版を重ねました。単なる山岳写真集とは異なり、専門家による博物学的な読み物と私の山岳写真を織り交ぜていくわけですから、編集は相当苦労したようです。この著作は、いままであったようでなかった、まさに目で見る北アルプスのすべて、という切り口です。
 その北アルプスでは温暖化が進み、昨年は11月に入っても降雪がほとんどなく、稜線で積雪がなかったことは初めての経験でした。典型的な事象として、白い冬羽の雷鳥が稜線で動いているのが人の肉眼でも良くわかったことです。雷鳥は10月の中旬ごろに独特な三度目の換羽(体羽の生え替わり)を始め、斑模様を経て、11月中旬には白い体羽となりますから、積雪のない11月のハイマツとガレ場の中で白い雷鳥は、天敵にもおそらく容易に見つかってしまうのではないかと心配でした。今年は子連れの雷鳥の姿を見る機会がとても少なかったのです。また、今春は雪解けも早く、花の開花が1ヶ月から半月早かった。芽吹きや開花は自然の変化に応じて進んでいくわけですから、高山植物の撮影も過去の開花データばかりをあてにはできない時代になっています。
 私がかつて山下喜一郎さんの助手だった時、山下さんから1つの株に数百の花をつけるコマクサの大群落地を教えてもらいました。今年その場所に行ってみると、20から30の花が咲く、小さな株が点在する場所に変わっていました。年月を経たとはいえ、あまりの様がわりに驚きました。高山の砂礫帯だけに生育するコマクサは温暖化によって、そこに他の植物が入ってきてどんどん後退しているのです。私は20年前から槍・穂高を撮りはじめてきましたが、当時は稜線近くでは見かけなかったイタドリも温暖化で標高の高い場所へ移動してきており、北穂高岳の斜面にも見られるようになってきています。サルが稜線近くに現れることもあるのです。


── 先月末まで約一ヶ月間、北アルプスのモノクロ写真展を開催されました。白黒フィルム全盛、というよりそれしかなかった時代といまのデジタル時代。これからの山岳写真はどのような道をたどるのでしょう。


 この10月末まで私のモノクロ写真展 「北アルプス」を一番町のJCIIフォトサロンで開催しました。この会場でのモノクロ写真展はこれまで人物写真が多かったので、風景や山岳写真は目新しいものとなり、評判も良かったのです。山岳写真の原点はモノクロ写真にあり、まず構図、それから光線の具合、そして現像技術が重要となってきます。さまざまな色彩に彩られたカラー写真と違って、単色でありながら想像力を刺激する、深みのある味わいはモノクロ写真の魅力ではないでしょうか。
 写真界でのデジタル化は革命です。銀塩フィルムでできることはすべてデジタルでできてしまい、これからは完全にデジタルだけの時代となるでしょう。デジタルは無限大の可能性があります。極論すれば撮影力30%、パソコン操作力70%の割合で、デジタル機能の知識や駆使する技術で作品ができる時代ともいえます。
 デジタル化で誰でも手軽に高度な撮影が可能となったわけですが、他の人の写真には興味を持たずに自分の写真が一番と思っている人が多いような中で、構図をしっかりと決められない人も多いのです。山岳写真では特に構図が重要で、作品を見る人を引き付けるのは、構図です。
 プロフェッショナルな山岳写真家は、同じ被写体を撮影するにしても新しい捉え方や見せ方などのアイデアを最初に打ち出し、オンリーワンを目指しています。プロは、アマチュアとは違うことを常日頃からおこなっていかなければならないのです。


(インタビューおわり)


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 毎年12月、大沢館(日本秘湯を守る会・南魚沼市)で開催される、日本山岳写真集団の納会に呼んでいただき、集団メンバーの岩橋さんと酒を酌み交わしてきました。登山をおこなってきた中で山の写真を本気で撮ってきたことがないため、専門的な写真論などできるわけがありません。それでも何時間でも話しが尽きないのは、岩橋さんが根っからの山屋だからだといつも感じています。
 山岳写真は風景写真や観光写真ではなく、山の上にあがらなければ作品には仕上げられないと思います。
 道路っぷちからいくら高山を撮影してもそれを山岳写真とは言えないのです。岩橋作品からは山の冷徹な空気がにじみ出ていて、それに共感できる人たちがいるかぎり、日本の山岳写真の文化がすたれることはない、と思うのであります。


(平成28年10月19日 聞き手:黒川 惠)