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2016/12/27 お知らせ

登山界“おちこち”の人、山岳気象予報士猪熊隆之さんに聞きました。

  Newsletter 2017年1月号
平成29年1月10日 第390号
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インタビュー連載 第22回


山の世界の彼方此方で活躍している人々をたずね、「そうだったのか。」を聞き出します。


山岳気象予報士猪熊隆之さんの登場により、山の天気予報が、いま注目されています。気象予報士への道をたどった経緯を聞き、平地の予報が山頂で通用するのか、気象情報利用の落とし穴にも迫りました。


── 気象予報会社「ヤマテン」設立の前、実はアルパインツアーサービスで主に欧州アルプス方面の企画手配に携わっていました。大学山岳部を出てから足のケガの治療など、苦労を重ねてきました。


 中央大学山岳部3年部員の11月の富士山合宿で吉田大沢左岸の岩稜、屏風岩尾根上部の白山岳に突き上げるところで強風に巻かれて大沢を滑落しました。このときの負傷はその後の骨髄炎につながり登山ができる状態ではない時期が続きました。大学を出て就職に苦労しながら外国航空会社系の旅行会社を経て、アルパインツアーサービスに入社しました。その後も肝炎や骨髄炎など様々な困難がありましたが、会社の理解もありました。自分は試練だとか苦労だとはあまり思っておらず、一つひとつの出来事は自分にとって意味があり成長させてくれた事柄だったと思っています。
 ケガや病気で山に登れない状態だった当時、山から遠ざかろう、と山に背を向けてしまったことが恥ずかしいと思い始めるようになって、自分は山の世界で生きていかなければならいと考えるようになりました。登攀はできなくても頭を使って、何か自分にしかできないことは何だろうと自問した結果、35歳の時に自分が好きで優れていると感じていた天気予報の道に進もうと決めたのです。気象予報士を目指して2007年1月に受験して合格、3月に資格登録しました。このあたりのことは拙著「山岳気象予報士で恩返し」(三五館から出版)に詳しく書かせてもらっています。
 資格取得後、初めは一般の気象予報会社で山岳気象を担当し、その後2011年秋に国内初の山岳気象専門会社ヤマテンを設立しました。


── 山岳気象に関わる著作も増え、登山専門誌での解説記事の執筆と山岳気象講座開催など、忙しい日々です。山岳救助隊、県警山岳警備隊、山小屋、旅行会社などクライアントも増えています。


 前職で山岳気象予報を開始して売り込みに歩きました。アルパインツアーサービスは最初のクライアントになってくれましたが、国内の道路事業者やスキー場関係会社、旅行会社のほとんどは、山の天気は当たらないから気象予報の購入は意味がないといった風潮がありました。でも一回利用して予報の精度が高いことがわかると継続して依頼されるようになったのです。すでに大手会社のウェザーニュースを利用している北海道のスキー場など、より高度な気象情報が必要だということから契約が始まったケースもあります。

 海外の山の予報は、これまでの山の仲間や山岳関係者の人情というか温かさに支えられて口コミで広がり、海外遠征隊の依頼も増えました。人との付き合いの大事さをあらためて思い知りました。
 ヤマテンの考え方は単なる天気予報の発表ではなく、その予報で登山者の遭難を防ぐことが第一であって、登山者自身も一方的に受けとめるだけでなくてリスクを想定して、どうすれば危険回避ができるかを考えられるような予報発表を目指しています。要するに登山者は与えられた情報の丸呑みだけではいけないと思うのです。
 一方で、スキー場や山上の交通機関会社などは気温や降雨、降雪予想量など数値的なデータでの予報に期待してそれを求めていますから、よりプロフェナルな予報で実際の天候との誤差を縮めていくことを追求しています。試行錯誤を繰り返しながら予報精度は向上しています。


──山岳気象遭難予防のために、登山者が最低限知っていなければならない山の天気の特性をビギナーでもわかりやすく解説するには難しさがあります。


 天気は奥深くて、人間にはわかっていないことがたくさんあります。そういう難しいことをどうすればわかりやすく説明できるか、限られた時間で登山者が最低限知っていなくてはならないことを解説できるかが重要だと思います。
 登山者にとって天気図の読み方は最低限の知識ではないでしょうか。とくに風の強さや風の向きは登山では重要な要素です。だれでも知っているはずの等圧線の間隔が詰まっている場所では風が強くなることなど、講習会では知らない人も案外と多いのです。
 過去における山岳遭難からわかることは、山麓と山頂での天気が異なっている時に遭難事故が起こっていることです。山麓の天気予報でも山頂付近の天気に通用できる割合はけっこうあるのですが、山麓天気予報の二、三割が山での実際の天気と大きく異なります。それが登山者の多い、土、日曜日にぶつかると遭難につながる可能性が高くなります。過去の例としては近著でも紹介している2006年10月7日の白馬岳遭難などが挙げられます。


──  近著「山の天気にだまされるな!(ヤマケイ新書)」は、刺激的なタイトルですが、“気象情報の落とし穴を知っていますか”とサブタイトルがつけられています。いったい何が書かれているのでしょう。


 2009年7月のトムラウシ山の大量遭難や、2012年5月の北アルプス各地での遭難など、山岳遭難が大きく報じられるたびに、「山はやっぱり怖いな。気を付けないと。天気を勉強しないといけないな。」と思われた方は多いはずです。でも、そのときはそう思ってもなかなか始められません。それは、心の中に「自分だけは大丈夫。」という思いがあるからではないでしょうか。私も、富士山で滑落事故を起こすまでは「自分は慎重で臆病だから絶対大丈夫。」と思っていました。しかし、富士山での事故の後、「誰にでも事故は起こりうるのだ。」ということを痛感したのです。登山は自然が相手のスポーツで、自然の懐は大きく神秘的で、人間にはまだまだ分かっていないことも沢山あります。2015年9月の御嶽山の噴火のようにだれもが予想しなかったことが起こりうるのです。
 だからこそ、私たちは自然の声に謙虚に耳を貸し、自分の登る山をしっかりと調べて、起こりうるリスクとその対処法についてしっかりと頭に入れてから入山しなければなりません。これは近著「山の天気にだまされるな」の巻頭に書かせていただいたことです。
 現在、天気予報や登山記録などの情報が氾濫しています。そんな情報を漫然と利用していると遭難事故を起こします。残念ながら天気予報の中には、山の予報を謳いながら実際には山麓の天気予報であるものが多いように思います。また山頂の予報であっても気象予報士が自ら予報を作成しているのではなく、数値予報というコンピュータが計算した予想結果をそのまま発表している予報会社もあります。気象遭難は山麓と山頂で大きく天候が異なるときに起きているのですから、地形や山の特性を理解していない気象予報士が発表する予報を鵜呑みにすると大きな落とし穴が待っているといえます。その辺りの仕組みを本書では詳しく書かせてもらいました。
 旅行会社や登山ガイドはもちろん、山岳警備隊や救助隊が信頼する予報をどのようにして作りあげるのか、登山者が気象リスクを減らすためにどのように計画を立て、現場でリスクを回避していくか、その方法について具体的に書くことに注力しました。著者として、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

(インタビューおわり)


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 私が中央大学山岳部監督を拝命し、最初に手がけた現役部員の中に猪熊隆之くんがいました。高校運動部で鍛えられてきた部員に比べると華奢ともいえる体躯でしたが、天気図を書かせると天下一品でした。不断の努力で他の部員から後れを取ることもなく筋肉質で硬派な3年部員となり、チベット遠征実現に近づいた、その11月に痛恨の富士山滑落事故が起きました。不眠不休で猪熊救助にあたった23年前がまるで昨日のことのようです。多くの山岳関係者はこうした記憶をもっているのですが、我が後輩がまさか山岳気象予報の分野でこれほど活躍するとは思いもしませんでした。
 猪熊気象予報士の著作に織り込まれている訴えは、山岳遭難防止の一点ではないでしょうか。それは山で命を落とした後輩や仲間に対する痛惜な叫びにも聞こえるのです。

(平成28年12月13日 聞き手:黒川 惠)


 

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定 価:800円(税別)