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2017/02/06 お知らせ

登山界“おちこち”の人、女流画家、入江一子さんに聞きました。

  Newsletter 2017年2月号
平成29年2月10日 第391号
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インタビュー連載 第23回


山の世界の彼方此方で活躍している人々をたずね、「そうだったのか。」を聞き出します。


生涯現役の女流画家、入江一子さんは、いま百歳。シルクロードをテーマとした多くの大作から、雲南省、四川省の山々まで、色鮮やかな多くの作品を生み出してきました。


── 絵を描きはじめたのが6歳とか。山口県のご出身で韓国の大邱でも暮らされ、79年前に女子美術専門学校(現女子美術大学)を出られました。多くの受賞作品を残されていますが、シルクロード40年の旅は大作を生みだしています。


 戦前、貿易商の家に生まれ、多感な娘時代は大陸で過ごしました。いまの韓国、大邱です。その影響からか、大地の土の匂い、荒野に咲く花々、漆黒の夜の圧倒的な星空、それから市場の雑踏から聞こえてくる民族楽器の調べなど、とても郷愁を感じるのです。それらを題材にしてこれまでずっと絵を描きつづけてきたのです。小学校の夏休みに1日1枚描いて、全部で40枚を仕上げるほど絵に没頭していました。
 女学校に入ってからもこの習慣はつづき、毎日1枚は描きつづけていました。大邱の冬はたいへん厳しく、パレットの水が凍っても絵を描きに出かけていました。女学校を卒業して、昭和9年に東京女子美術専門学校、いまの女子美術大学に入学して、たった一人での東京生活が始まりました。
 現代具象絵画を代表する林武先生が創立会員である、独立美術協会の第8回独立展に出品したのが最初でそれからも出品しつづけています。林武先生には女子美在学中から昭和50年に亡くなられるまで50年間師事しました。いまも居室に掲げている林先生の作品に見守られているかのようです。
 シルクロードは、限りなく夢と希望に溢れた世界です。私は、シルクロードに魅せられてスケッチの旅をつづけては作品として独立展や女流画家展に発表してきました。いつしか、それらが日本を出て、中国から中近東、ヨーロッパという一筋の道となり、シルクロードがまさに私の画業の歩みそのものとなったのです。20年前に出版した「色彩自在」(三五館刊・2500円)には作品とともにそれまでのことを綴っております。


── 毎日絵筆をとり、いまも描き続けておられます。一日のスケジュールはまるで絵を描くために組み立てられているようです。


 先日、月刊誌「美術の窓」で取材されたときに1日のスケジュールを聞かれました。朝6時に起きて、8時半から朝食、白飯、味噌汁、おかず、韓国海苔、キムチは欠かしません。それから1時間絵を描いて、1時間昼寝の繰り返しです。午後1時に麺類かパンの昼食で、1時間絵を描いて1時間昼寝。夕方5時に夕食で、白飯に肉が多いです。ステーキや、すき焼きをいただきます。キムチは欠かせません。それで1時間絵を描いて、好きなときに就寝です。毎日、絵を描くことが私の生き方です。


── アルパインツアーのグループのメンバーとして、1992年に四川省のスークーニャン山麓、1997年に雲南省のハイキングに出かけられました。南北イエメン縦断の旅もございました。


 1969年から30カ国余りのシルクロードの国々を訪問しています。「入江一子シルクロード記念館」のホームページでは制作マップとして一覧できるようにしてありますから、ご覧になってください。5千メートルの高地旅行も何度か経験しています。
 アルパインツアーの山旅は、山の仲間同士の雰囲気があって、気に入っていましたから何度も参加しました。とくに1992年7月に出かけた、中国四川省の四姑娘(スークーニャン)山麓は、宝石を散りばめたような美しい高山植物の宝庫でした。夕刻、山頂に虹がかかり、まるで七色の交響曲が奏でられているようでした。美しい色が地球には溢れています。成都からバスで山に向かうのですが、途中道が壊れていたり、落石があったり大変でしたが、メンバーは皆山仲間のようで楽しい旅でした。4千メートルくらいのところまで登り、青いケシを探したのです。雨が降り、霧が流れているなかで、突然、青いケシの花が一面に咲いているのが目に入りました。みんな大感激でした。
 このときの作品「四姑娘山麓の青いケシ」(200号)は、2009年12月にニューヨークで個展を開催したとき、注目を集めた作品の一つとなりました。この絵を見るためにわざわざ遠くからニューヨークまで来てくれた人もいました。植物研究家の人もやってきました。いまこの作品は、立川中央病院のロビーに飾っていただいています。
 雲南省やモンゴルの山地にもアルパインで出かけました。いまは行くことができなくなってしまった南北イエメン縦断は遊牧民ベドウィンの人がガイドでした。このときは、ベドウィンの母子を100号の作品にすることができました。


── 昨年秋、日本橋三越本店で、「百寿記念 入江一子自選展」が開催され、聖路加国際病院の日野原重明名誉院長と対談されました。100歳と105歳のお話は、5年後のデートだったとか。


 日野原先生はユーモアがありとてもお話がお上手でした。私と会うからお洒落をしてきた、と明るいブルー系のジャケットとネクタイでした。5年前も三越の展覧会で対談していますが、そのときはご自分で歩かれていました。今回は車イスでした。私は車付きの手押しの補助イスです。そうしたら、日野原先生が、「シニア競技で僕は車イス競争に出るから、入江さんは手押し車競争に出なさい。」と言うのです。百歳を越えて体力に不安がでてきたと申し上げたら、5歳も年上の日野原先生から激励されてしまいました。5年後にまた三越でデートする新しい約束も交わしたのです。
 私の絵を見た人が、この人の絵は衰えた、もうだめだ、と思われないように、これからも頑張って描きつづけたいと思います。

(インタビューおわり)


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 正月気分からやっと抜け切れたような阿佐ヶ谷の町並をしばらく行くと、「入江一子シルクロード記念館」があります。入江先生には、何度も当社ツアーに参加していただき、そのたびにご高齢だから少し心配、と思っておりました。でもそうした懸念を吹き飛ばし、いつも元気に帰ってこられ、山々や自然や人々を色鮮やかに描かれてきました。
 最近のニュースでは、65歳以上は高齢者でなく、准高齢者と言うようになるとのこと。100歳の入江先生からすれば団塊の世代など、はな垂れ小僧かもしれません。27日から2月4日まで上野の森美術館で開催の「入江一子100歳記念展」の準備で忙しいなか、時間を割いていただきました。
 お話しをお聞きしながら入江先生から活力をいただき、また聖路加の日野原先生と入江先生との5年後のデートが楽しみに思えたインタビューでありました。きっとこれからもいつものように、一日一枚描き続けられることと存じます。

(平成29年1月16日 聞き手:黒川 惠)