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2017/07/07 お知らせ

登山界“おちこち”の人、シンガーソングライターで登山愛好家の、みなみらんぼうさんに聞きました。

  Newsletter 2017年7月号
平成29年7月10日 第396号
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インタビュー連載 第28回


山の世界の彼方此方で活躍している人々をたずね、「そうだったのか。」を聞き出します。


シンガーソングライターで登山愛好家の、みなみらんぼうさんにご登場いただきます。毎週木曜日、読売新聞夕刊で連載されている、「一歩二歩山歩」が1000回まで、残り50歩余り。デビュー当時の想い出から、山との関わりなど、らんぼうさんにお聞きしました。


── 宮城県栗原市のご出身でふるさとの山、栗駒山山麓で自然を身近に感じながら、中学時代に登山をはじめました。大学入学で上京され、1973年に「ウィスキーの小瓶」で歌手デビュー。1976年に発売された、「山口さんちのツトム君」はミリオンセラーになりました。


 小学6年の時が、「マナスル初登頂」の年でした。誰しもがそうであったと思いますが、マナスルの記念切手を買いました。中学時代は、毎年、学校登山で栗駒山へ登っていたのです。当時、山も村も隔てるものはなく、つながっていましたから、家の外へ出るだけでアウトドアの時代だったのです。
 大学へ入って、20歳の時、友人2人を誘って、東北縦断の徒歩旅行へ出発しました。東北出身でいながら東北のことを知らないと気づいていたからです。でも、この冒険旅行は散々な目に遭いました。栃木の川治温泉から会津若松へ向かうとき、キャラバンシューズに不慣れな友人が足を痛め、歩けなくなったのです。それで会津若松で3泊もしてしまいました。山形の天童では地元代議士に、若者が立派なことをやっていると褒められて温泉へ連れていってもらいました。とにかく、この徒歩旅行は失敗の連続で、友人とも喧嘩ばかりでした。その時は何の役にも立たなかった徒歩旅行ですが、友人たちとその後会うたびにこのときの話になり、今では人生の宝の旅ともいえるようになっています。
 大学時代に広告研究会に所属していたので、コピーライターとして作詞をし、それにメロディーをつけるようになりました。当時はシンガーソングライターが活躍し始めていた頃です。楽器は最初ウクレレでしたが、ギターになりました。下宿では近所に迷惑がかからないように筆の先を短く切ってそれでギターを弾いていました。シャラシャラと奏でるのです。とにかくこの頃は曲を作ることに熱中していました。山手線の田町から品川の一駅間で1曲作り、友人に聞かせて自慢していました。
 ラジオ台本作家でしたから放送局への出入りも多く、あるとき楽屋で売れそうな楽曲を探していたディレクターに「酔いどれ女の流れ唄」を聞いてもらう機会がありました。「これは売れる。」ということで、森本和子が歌いヒットしました。その後、加藤登紀子がカバーしてこれも売れました。
 「酔いどれ女・・・」の2年後に、「ウィスキーの小瓶」を中村雅俊が歌うという話が持ち上がり、歌唱指導までしたのです。しかし、大作曲家のいずみたくさんが中村雅俊に別の曲を作曲することになりました。それが、「ふれあい」です。結局、「ウィスキーの小瓶」は、自分自身が歌うことになり、これが歌手デビューとなったのです。もし予定どおりに中村雅俊が歌っていれば、シンガーソングライターみなみらんぼうは生まれなかったのです。


── 1995年から、NHK教育テレビで「中高年のための登山学」が放映されました。岩崎元郎さんとのコンビで人気番組となり、安全登山啓発と中高年登山ブームのさきがけとなったテレビ番組でした。そして1997年10月から読売新聞での連載「一歩二歩山歩」がスタートです。実に息の長い山との関わりのなかで、海外の山々へも数多く出かけています。


 20年以上も前ですがシルクロードなどに個人旅行で出かけていたことが多く、それがきっかけで、テレビ番組のリポーターとしてアマゾンやカナリア諸島などの僻地を訪れる番組に出演するようになっていました。ちょうど50歳になる頃、テレビ局から岩崎元郎さんを紹介され、1995年からNHK教育テレビの「中高年のための登山学」に出演することになりました。
 それまで、登山界のことも岩崎さんのことも知らなかったのですが、それからは、岩崎さんを登山の師匠として親交を深め、山の世界に入っていくことになりました。番組は岩崎さんが講師役で自分が聞き手役で、のっぽと小柄な二人ですから、凸凹コンビといわれて人気がでました。放映は13回シリーズでしたが、その後7回も再放送されました。番組の反響は大きくて、ストックの使い方が紹介されると翌日には登山用具店からストックが消えたと聞いたことがあります。
 当時の登山のイメージは3K(危険、汚い、恐い)の世界でしたが、この番組での岩崎さんのソフトな語り口と聞き手の素人っぽさが登山を身近にさせたと思います。女性も気軽に登山できるようになったきっかけづくりにもなったと思います。この頃の中高年登山者には、マナスル初登頂で登山ブームとなった頃に登山を始め、その後中断して、また登山を再開した人たちも多かったと思われます。
 岩崎さんに「55歳でキリマンジャロに登り、その次ぎにモンブランに行く」と話したところ、「運にまかせるような登山をやってはだめだ」と苦言があり、それからは岩崎師匠と雪のある唐松岳や富士山での雪上訓練などをおこないました。ですからモンブランまでは4年半かけたのです。
 読売新聞の連載でもアルパインツアーの海外トレッキングをいくつか紹介させてもらいましたが、いままで出かけた海外の山は、アンナプルナ・シャクナゲ(1998年)、キリマンジャロ(1999年)、大姑娘山(2000年)、ヤマケイスタッフと行くピレネー(2002年)、ランタンヒマラヤ(2003年)、モンブラン登頂(2004年)、北欧ガルホピッケン(2005年)、四川省コンガ雪山(2006年)、シャドーレイク(2007年)、ファンシーパン(2008年)、カムチャツカ・アバチャ山(2009年)、韓国ハルラ山(2010年)。インカ・トレイル(2010年)、NZ北島(2014年)、台湾・台北近郊の山(2014年)、マナスル西面展望(2015年)、カナリア諸島テイデ山(2016年)、香港の山(2016年)です。読売新聞の連載は残すところ50回余りで、この残り50歩はまさに頂上直下の胸突き八丁です。


── らんぼうさんと一緒に登る登山チーム、“らんぼう隊”は、東日本大震災の後、環境省が整備を進める、「みちのく潮風トレイル」をこの3年間で3コース踏破しました。その様子は、長期連載の「一歩二歩山歩」でも紹介されています。


 1回目が青森県の階上岳と種差海岸、2回目は福島県の鹿狼山と新地町、3回目の今年は岩手県の石塚峠と五葉山に行きました。階上岳はよく整備されていて、種差海岸も印象的でした。新地町役場では当時のことを役場の人から聞かせていただきました。今年は三陸鉄道の震災学習列車に乗車して社員の方の解説を聞きました。東日本大震災からもう6年がたちますが、まだまだ現地には傷跡が大きく残っているのを目の当たりにしてきました。潮風トレイルを歩くことで、さまざまな自然に触れ、時として牙を剥く自然の脅威を知り、そこに根ざした土地の文化や地元の人たちと出会うことができます。トレイルの整備もどんどん進むと思うので、これからの東北のロングトレイル歩きが盛んになることを期待しています。


(インタビューおわり)


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 20年前のNHKの番組では、のっぽの、みなみらんぼうさんと、小柄な岩崎元郎さんのコンビが人気でした。この番組の影響は大きく、現在放映されている登山番組の土台にもなっているように思います。ただ、登山はいいぞ、というだけでなく、安心・安全登山への啓発にもつながった番組だったのではないでしょうか。
 先日ある山小屋で山の歌合戦をしましたが、譜面も読めない山屋が歌い継いできた山の歌はどこかで正調でなくなっているように感じました。プロ歌手としてのらんぼうさんに、かつて皆で歌った、山の歌の数々を歌唱指導してもらいたいとつくづく思うのであります。

(平成29年6月16日 聞き手:黒川 惠)