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研修登山
「ツアー登山」を取り扱う旅行会社が集まって「旅行業ツアー登山協議会」が構成されてから、丸3年となる。この間、安全登山に重点を置いた「ガイドライン」や何人の参加者に、何名の引率者をつけるべきかといった「ガイドレシオ」が策定されてきた。「売上は減ったけど、事故も減った」いう声もあがるくらい、ガイドラインもガイドレシオも各社に浸透しているようだ。
協議会では「実地登山研修」もおこなってきた。最初は、一昨年12月の三つ峠だったが、参加者のなかには小さなデイパックにスニーカーで、丈の長いウォームアップコートみたいなのを羽織っているのもいたりして、どうなることかと思ったが、歩き出してみると意外にも参加者のやる気は十分で、現場スタッフの志気は高かった。
「山へ行くのに、わたしたちが何も知らないのはよくないと感じていたから、こういう研修はありがたい。」という感想が多かった。やはり、添乗員といえども、引率者であるかぎりは一定の責任はあるのだから、お客さまより山のことに通じていることはお客さまの安心感にもつながるはずだ。
と、いうわけで、今年の研修登山は、もう一歩ステップアップして残雪たっぷりの「尾瀬ヶ原」へ5月19日から出かけることになった。

鳩待峠から山の鼻、東電小屋へ
戸倉の尾瀬林業さんで尾瀬に関するレクチャーをうけた後、マイクロバスは、山腹の残雪を見ながら狭い道を鳩待峠に向かう。峠の駐車場も残雪の大きな壁に押しやられているようだ。山の鼻への登山道はまるで5月連休といった感じの完璧な雪道だ。朝からの雨がトレースをわかりにくくし、尾瀬保護財団や尾瀬林業の地元案内役がいないとルートファインディングもあやしくなってしまう。

 

赤布などのワンド(標識)はまったくない。夏道は木道が雪に覆われ不明瞭でかえって危険だからということで、川上川沿いの冬道を行く。なんとそこには電信柱が立ち、電線が張られているのだ。多分、夏道からは死角になっているのだろう。冬道だからこその発見だった。
山の鼻から尾瀬ヶ原へ向かうと、さらに雪深く、一面の雪原で、氷結し雪をかぶったレイクルイズのようだ。シベリアのようだと言うやつもいた。この原の中も木道通りには行けない。なぜなら、木道周辺はもう水が出ているからだ。この時期だからこそ歩ける雪原の尾瀬ヶ原のど真ん中を進み、ヨッピの吊り橋を渡ると東電小屋は近い。
雪の原の中に建つ、欧風な外観の東電小屋には立派な乾燥室もあり雨でびしょぬれの身には助かった。石鹸、シャンプー禁止だけど風呂もあるし、ウォシュレットもあるし、メシもうまかった。

牛首越え
2日目は未明からどしゃぶりで、ヨッピの吊り橋が気がかりだったが、朝には雨もあがった。しかし、尾瀬ヶ原中がたっぷり水を吸い込み、そこかしこが浸水している。いくつかの川が渡れないため、帰路は大きく迂回し、牛首の最低鞍部を越えて行くことになった。鞍部の向こう側はその昔キャンプ場だったそうだ。こんな所でテントを張れた時代もあったのか、と思わせるなんとも素敵な場所だった。地元の人に案内してもらえる残雪期なればこその貴重な体験ができた。

子供連れとスニーカー
山の鼻から鳩待峠へは往路と変わらぬ雪の中を登り返す。昨日から未明までの大雨で木道周辺の雪がとけはじめているから足元の危ういところもある。そんな雪道を鳩待峠からはけっこうな数のハイカーが下りてくる。

 

中にはスニーカーの人も多く、子供連れも見かける。子供がはしゃいで先に行ってしまうのを止めない親はきっと山に潜む危険を自らが感じていないのだろう。思わず「あぶないから走らないでね」と声をかけてしまう。子供連れ登山にはショートロープ技術(アンザイレンの一種)が必須のようだ。

東電と木道
尾瀬の群馬側の多くは東京電力の土地で、東電は木道整備などに巨費を投じている。企業の努力が尾瀬の自然を守っているといってもいいだろう。「木道歩き」は尾瀬の代名詞みたいなものだが、典型的な高山性湿地とアルパインメドウからなる尾瀬では、最初から木道が完備されていたわけではない。登山者が湿地を歩きやすいようにとの必要性から素朴な木道がかけられてきたのだが、そのうち、登山者の踏みつけがひどくなり、生態系保護の観点からもしっかりした木道の整備が急がれ、いまは木道以外を歩くことのほうが難しくなっている。アヤメ平の荒廃と回復への努力の道程も木道の歴史の一端を物語っているとも言えるだろう。
私が最初に勤めた山岳図書専門出版社で、尾瀬のガイドブックの広告担当をしたとき、尾瀬林業さんにはずいぶん協力していただいた。そのころはまだ、尾瀬と東電と尾瀬林業の関係など詳しく知ることもなかったが、尾瀬の保全に関わる事業の中での東電のありようは、企業としての姿勢をきちんと世間に示すという意味からも貴重なものだと思う。もっとも超大企業だからこそ可能だったとも言えるだろうから、せめてわが社は、昨年11月にラムサール条約に登録された「尾瀬」が、日光から独立して29番目の国立公園になるためのサポーター役をめざそうかと思っている。

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