谷間の空港とパロの町
バンコックを早朝飛び立ったブータン国営航空「ドゥルックエア」はカルカッタまでは込んでいたがその先はがらがらに空いてしまった。左手にカンチェンジュンガの山並みを眺めていると、しだいに機窓近くに山肌が迫り、エアバス機は滑るように標高2,300mの谷間の空港へ着陸する。
パロの町にはもちろん信号機はない。この国には3万台以上の自動車が登録されているというが、国際空港のあるこの目抜き通りを通る車の数から、本当にそんなにたくさんの車があるのか、と思わせるようなノンビリムードがある。なんだか二、三十年前のカトマンズの町はずれといった雰囲気だが、意外に近代化されているし、町全体がきれいで汚れていない印象だ。週日には、ゴ(男性の着衣)やキラ(女性の着衣)をすべての人々が着ていることも好印象の要因かもしれない。勝手気ままな着衣でなく、伝統的な民族衣装が醸し出す、一体感のような雰囲気が好ましい。ユニフォームは、帰属意識を高め、力を引き出すが、ブータンは国としてそれを実証しようとしているのだろうか。小理屈はいいとして、きちんとした着装のゴやキラには日本の着物に相通ずるものがある。
最近の日本では夏の夕暮れに「ゆかた」を着崩している日本の若者たちを見かけることが多くなった。「君たち、もうすこししっかり着てよね、外に出ればゆかたは和服だよ、寝間着じゃないでしょ。ブータンの若者を手本にしてよね。」と言いたい気分が夏になればきっと強くなってくるだろう。
首都ティンプーへ
パロからは工事中のがたがた道をティンプーへ向かう。あちらこちらで拡幅工事や路肩の補強がされている。働いている人々の顔つきはあきらかにブータン人ではない。工事に従事しているのはインド人なのである。ブータンは水力で発電した電気をインドに売って外貨を稼いでいるが、道路工事は粗末なキャンプで生活しているインド人労務者の仕事になっている。国の中にはインド軍も駐留しており、インドとは密接な関係にある。
大国中国とインドにはさまれ、地政学的には厳しい状況におかれているブータンは、1951年の中国によるチベット吸収や1975年のインドによるシッキム併合の轍を踏むことはできないのだ。まさにしたたかな外交が要求されているわけである。
世界でも珍しい、信号機のない首都、ティンプーは標高2,350mだからネパールの首都カトマンズより1,000mも高いところにある。
ブータンでの山旅は中高所旅行である。標高1,300mのプナカより低所に宿泊することは難しいから、奥秩父や八ヶ岳で高山病に苦しむ人には勧めることはできない。とはいえ、身
体は慣れてくるのでおおげさに心配することはない。
手信号で交差点の車をさばいている警察官もそれほど忙しそうには見えないので、きっと信号機の出番は当分ないだろう。でも、さすが首都だけあってパロの町と比べたら人も多く、活気に溢れている。宿泊は、町からしばらく登った「アマンコラ」なので、夜は冷え、まるで山の中に隔離された気分だ。アマン・リゾートは世界中に点在しており、アマンフリークと呼ばれる熱狂的ファンが多い。たしかに、少ない部屋数で、お客さんより圧倒的に従業員のほうが多く、彼らから名前で呼ばれるのはいい気分だ。用事があればダイヤル・ゼロ(英語)で何でもお願いできるから助かる。アルパインのグループツアーであれば、宿泊ホテルがどこであっても、頼もしいツアーリーダーが同行しているから安心してブータン旅行を堪能していただくことができる。
ガンテのツルとプナカゾンと地球温暖化
この時期になるとヒマラヤを越えて、標高3,000mのガンテの広い谷に渡ってくる保護鳥オグロヅル(Black-necked cranes)を見るためにティンプーからドチュラ(峠・3,150m)を越えてポブジカ谷へ向かう。 目当てのオグロヅルは中景でたくさん見ることはできたが、もう一つのお目当てであった途中のドチュラからのヒマラヤの展望は往復と
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もに雲の中で残念であった。未踏の7千メートル峰では最高峰と言われるガンケルプンズム(7,570m)を眺めるために双眼鏡も用意していたが、結局ツルを見る役目でおわってしまった。ガンテは5千メートル級の山々に囲まれており、ここのアマンコラは、ブータン最大のニンマ派寺院であるガンテゴンパを谷の向こうに眺め、オグロヅルのいる広い谷を見下ろす絶好地にある。さすがに北アルプスの稜線と同じ高さにあるので、夜の外気は身を切るように冷たかった。
プナカへはもう一度ドチュラを越えることになる。峠の茶屋、といっても立派で大きなカフェテラスだが、ここは多くの外国人ツーリストにとって絶好の休憩ポイントだ。この茶店で最初に目にしたのは、入口ドアやガラス窓、外壁などに貼り付けてある、たくさんの旅行会社のステッカーだった。日本の会社もけっこう貼り付けてある。A社やC
社やJ社やS 社やW社…美観もそこねるが、愛社精神とは筋違いのワンちゃんのマーキング的いやらしさを感じてしまったのである。

▲モ川とポ川の合流点に建つプナカゾン
上高地より低いところにあるプナカの谷は、暖かく、湿潤な空気で癒される。モ川(母川)とポ川(父川)の合流点に聳えるプナカゾン(城)がなんといってもここの見どころだ。
二つの川にはさまれたプナカゾンは、まるで海に浮かぶ古代船のような優美でたくましい姿を見せている。ここは、プナカ地区の行政機関としても使われ、多くの寺院も中にある。
このプナカゾンが、1994年の大水害で壊滅し、立て替えられたことは、いま地球温暖化についてグローバルに語られているうえで極めて重要なことだ。この大水害で押し出されてきた土石流は、温暖化によるヒマラヤの氷河融解の加速によって巨大化した山上の氷河湖の決壊が原因と言われているからだ。ネパールもブータンもヒマラヤを背後に控える急峻な山国で、その山ふところには、多くの氷河湖を抱きかかえている。これら氷河湖が、地球温暖化による氷河融解によって水量を増しつづけ、決壊の危機にさらされているのだ。南米ペルーの山々でも同様な状況にあるとはいえ、これらの主なものは、山麓から工事用道路が引かれ、
人工ダム湖として手を加えられていると聞いている。しかし、ネパールやブータンでは工事用道路の取り付け自体が不可能だろう。警報機を設置してもいざというときに、地元民は身一つで避難できたとしても家財一式は失うことになる。指をくわえて見ている傍観者ではなく、氷河湖決壊防止プロジェクトの一員をめざすのがわれわれの使命であると痛感している。
暖かいプナカでぐっすり休んだ翌朝、朝市にでかけた。色鮮やかなトウガラシはブータンでは調味料ではなく、野菜扱いとのことで、1キロ60円で売られていた。これをばくばく食うことなどとてもできない、だからブータンには住めないと思い至ったのである。
チョモラーリ展望ハイキング
チベット国境に聳えるチョモラーリ(7,314m)は、カイラス(カンリンポチェ・6,638m)、ガウリシャンカール(7,134m)とともに、チベット人が尊崇する三聖山の一つで1937年に英国隊がパロ川源流をつめて、南稜から東面に回り込み、5月21日に初登頂している。当時ブータン側からはたいへんなアプローチを経て、やっとその山容を目にできたこの山も、いまはパロから車でくねくねとチェレラ(峠・3,988m)へ上がれば、隣に聳えるジチュダケ(ツェリムカン・6,
809m)とともに、目の前のパノラマを堪能できる時代なのである。
パロから2時間弱で標高1,500m以上高度を上げるので、チェレラではしばらく休息し、4千メートルの高所にすこしでも身体を慣らしてから出発したい。
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峠の北には三つのピークをつなぐように緩やかな尾根が延び、そのもっと北方にチョモラーリとジチュダケが白く輝いている。
最初のピークまで登る間にたくさんのドライフラワー状態のエーデルワイスを見ることができた。峠の南側の尾根筋にはブルーポピーもあるという。セカンドピーク(約4,200m)までゆっくり登っても一時間半だが、ここまで来ればチョモラーリやジチュダケはもっと近くなる。
その昔、河口慧海がラサから脱出したとき、ブータンへの入国を避けてシッキムからインドへ入ったが、あのチョモラーリの向こう側を抜けていったのかと思うと感慨も新たになる。
気持のいい4千メートルの稜線で冷たい風に吹かれて、白い山々を眺めていると時間がすぎるのが早くなる。チェレラの西側には「ハ」の町があるが、足を延ばすのは次の機会にした。
▲チェレラからは緩やかな尾根歩きが楽しめる
タクツァン僧院ハイキング
“虎のねぐら”とも呼ばれるタクツァン僧院は、1998年4月の火災で焼失し、現在の建物は忠実に往時のものを再現したものだ。この火災の際に、極めて重要な経文が風に飛ばされ焼失を逃れ、後日河原で見つけられたといわれている。標高3,000mの岩壁に投げ込まれたように建つ、この聖なる僧院には、人智を超えたできごとがあっても決しておかしくな
い、と思わせる雰囲気が満ちあふれている。礼拝者の世話をする小坊主さんたちですら気位の高さを感じさせるのである。
この聖なる僧院には外国人ツーリストも特別許可を得て立ち入ることが許されているが、一般には手前の展望茶屋までとされている。この茶屋から望むタクツァン僧院は、どうやって昔の人がこれを建立したのか、と思わせるほどの迫力がある。まるで穂高屏風岩東壁上部にお寺が建てられているありさまなのだ。
▲“虎のねぐら”タクツァン僧院
パロの町から車で少し行った登り口からは、再建資材の運搬ケーブル設置のために立派なトレイルがつくられ、2005年にはさらに修復され、いまでは幅の広い歩きやすい山道に
なっている。歩き出すと生まれて数ヶ月の小さな子犬と中型犬がまとわりついてくる。まるで道案内してくれているようだ。
展望茶屋でしばし休憩した後、さらに僧院をめざして登る。パロの町からは、どうやってあの“虎のねぐら”まで登るのだろうかとルートファインディングしてもわからなかったルートは、岩壁の中の弱点をとらえて、ジグザクに切られている。大部分が石積みになっているので、雨で濡れているときはスリップして危険な道になる。実際、転落事故は起きているとのことだ。
僧院では靴をぬぎ帽子もとる。同行ガイドは五体投地で礼拝するが、われわれは正座し合掌し、低頭した。まねごとの五体投地はできないからだ。
所要5時間ほどで午後2時すぎには登り口にもどってきた。下山途中に路端で店を広げていたおばさんからクラシックな錠前と鐘を購入した。これといったブータン特産土産を手にすることができなかった急ぎ旅だったので、汚れてサビついたものでも、この旅の思い出のよすがとなるだろう。
▲パロ郊外の見事な棚田
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