山旅情報誌 Newsletter
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 日本からネパールへの渡航者数が最盛期に比較して半減している現状をどうにかしなければならないと考えたネパール観光評議会(NTB)は、(社)日本旅行業協会(JATA)とタイアップして日本の旅行業者をネパールへ呼び、実地に観光地の現状を見てもらおうとの計画を立てた。
 日本の最大手と大手の会社や日系航空会社系の会社、専門分野を得意とする会社や旅行業界誌とJATA役員で構成された10人のグループの一人としてぼくは、1月19日、関西空港からロイヤルネパール航空でカトマンズへ向かった。その年最初の訪問国がネパールになったのはこれで3年連続だ。
 カトマンズ空港ではネパール音楽を奏でる笛と太鼓の楽団が出迎えてくれた。なかなか心温まる演出だ。
 迎えのバスに乗り、さあホテルへ。「ではこれからシャングリラ・ホテルへ向かいます。」と、ガイドが言う。「えっ、ソルティーじゃなかったのか?」とメンバー。「シャングリラに変わりました。」と、ガイド。うーん、やっぱりここはネパールだ。しかし、これは突然のホテル変更ではなく、単なる連絡ミスだったとのこと。一般のお客さまを募集する主催旅行ではあり得ないことだ。多分NTBは仲間うちのJATAだから気がゆるんだのかもしれない。実害なしだから、まあ、いいか。
 1月20日、朝飯前のマウンテンフライトに乗るため早朝から空港へ向かう。空港を覆う霧も薄くなり、太陽も輝き出し2時間や3時間の出発遅延も許せるような晴天になってくる。
 ブッダ・エアの小型機は東に向かい、左窓からはランタンリルンをはじめ、シシャパンマ、ドルジェラクパ、プルビチャチュー、ガウリシャンカール、メンルンツェ、チョーオユーを眺めることができる。そしてプモリの右に一際大きくサガルマータ(エベレスト)が屹立している。機は旋回し、山岳展望は右窓に移る。カトマンズ空港に近づくにつれて、遠くマナスル三山、アンナプルナ連峰が白く浮かんで見えている。絶好のフライト日よりにメンバーも笑顔だ。
 その後、ボードナートとパシュパティナートを見学し、ドゥワリカ・ホテルで昼食だ。ここのオーナー夫妻とは古いつきあいだったが、最近はご無沙汰でなつかしい再会となった。旦那に先立たれた後、古いネパール様式を取り入れたこのデラックス・ホテルはミセスが切り盛りしており、この日も洗練された味のネパール料理を堪能させてくれた。
 ぼくはメンバーと別れてナヤンバザールにある「カトマンズ武道館」に向かう。剣道指導をする約束になっているからだ。地元の子供たちと現地在住13年目となる白井女史、板橋の東京久明館道場で修行し帰国したワイバさんが待っている。
 この武道館は、松本市と草の根支援で建設され、橋本元総理も出席された開所式から丸一年がたった。柔道大会や空手大会も開催されるようになり、やっと全体が機能するようになってきた。松本市の人たちや日本大使館、現地の人たちの尽力がなければここまでこぎつけなかったと思う。剣道の場合、次の課題はネパール人指導者の育成だ。
 1月21日、空路ポカラへ。早速「マウンテン・ミュージアム」を訪問する。昨年5月29日に仮開所式がおこなわれ、現在JICAから派遣された安藤さんが博物館の充実のために指揮をとっておられる。展示物は内装工事のホコリやチリを避けるため会議室に収められている。中味はまだまだだが建物はほぼ出来上がっている。これから期待できるポカラでの観光要素になるはずだ。
 グループはポカラ随一の大型ホテル、フルバリで昼食を取り、ペワ湖でボートに乗り、湖畔でのんびりとお茶を飲んでからロープ付き渡し板でフィッシュテイル・ロッジに入る。
 カトマンズやポカラの町は最近大きな変化はなく、ツーリストの目には反政府毛派共産主義者(マオイスト集団)の姿かたちは見えない。たしかに都市の要所は軍や警察の警備が強化されており、トレッキングの拠点でもそうなっているところもある。ローカルバスの乗客はチェックポストで下車し、セキュリティー検査を受けている。
 国王に任命された暫定内閣とマオイストとのテーブル・トークが一日も早く開始され、話し合いをおこなって、問題の解決に向かってもらいたいものだ。「マオイストが国会に立候補したら、私は投票するかも知れない」と言う人もいるくらいだから、暴力でなく、対話による解決だってできるはずだ。マオイストは、堂々と国会で戦えばよいのに…と、考えるのはぼくだけだろうか。
 マオイストのリーダーは、外国人ツーリストには危害を加えないと宣言し、今までその通りになっている。攻撃対象が政府機関で、無差別テロと呼べる状況ではないとも言える。しかし、不幸にして巻き添えを食らうということが絶対ないとは言えないのがつらいところだ。でも世界中どこを旅しても絶対安全ということはないのだから、ことさらネパールを危険地域だと言うことは間違っていると、ぼくは思っている。
 ネパールのマオイスト事件がわが国での60年代、70年代の極左暴力集団による暴力デモや爆弾事件と重なって見えるのはもしかしたらぼくの錯覚かもしれない。と、いうのはマオイストの末端分子までが政治的イデオロギーを掲げているとは思えないからで、将来的に、もしそれが政府との対話の足かせになってしまうとすればマオイストのリーダーはもっと深刻に考えるべきで、やりかたを間違えるとさらに卑劣で下らないテロリストに成り下がってしまうぞと、ぼくは思っている。(つづく)


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