Newsletterより抜粋

文 編集長 黒川 惠
低山趣味
仮住まいのマンションが西側の5階なので冬晴れの朝と夕方にはてっきり低い山並みと富士山が見えるだろうとよろこんで入居したが、目の前のマクドナルドや生協や寿司屋の入っているビルの陰で、見えるのは奥武蔵方面がほんのちょっぴりでガッカリだ。視認域が狭すぎて山座同定すらできやしない。
ベランダからの新都心の高層ビル街は毎日きらびやかだというのに、ぼくにとっては都会の夜景よりもかわたれ時に黒く浮かぶ奥多摩や丹沢や奥武蔵のほうに価値がある。それに富士山が加われば鬼に金棒だ。
仕事が忙しく近郊の低い山々とも最近はご無沙汰で、こんなはずではなかったといつもおもいながら、金曜日の朝日新聞朝刊第2東京面の「山紀行」を楽しみにしている。今週は、沼津アルプスだったから今度行ってみよう。と、こんな具合に、特定の山に登山者が集まり、「朝日の山紀行に出ていたあの山へ行こうよ」という山好きの人々がどんどん増えて、そのうち第二の百名山シリーズになってしまうのだろうか、などと余計なことを考えてしまう。
そろそろ口先クライマーから低山趣味へ本格的にシフトして、冬晴れの中、残り少なくなった落ち葉を踏み、日だまりハイクを心ゆくまで、日がな一日楽しむことができたらどんなに幸せなことだろう。西の方から南岸低気圧がやってきて真っ白になった奥多摩を雪を踏みながら歩くのもいいものだ。
雪山登山
昔取った杵柄も、加齢とともにガタついていることに気づかないとおもわぬところでケガをする羽目になる。この年末年始、山岳遭難のニュースは目立たなかったが、つい最近、八方尾根で中高年女性が疲労凍死している。八方はスキー場とはいえ、八方池山荘から上部は北アルプスそのものだ。とくに八方池のあたりはものすごい吹き溜まりで、半端なラッセルではない。何年か前の冬に、下ノ樺上部で幕営している学生たちに合流するため昼過ぎにクワッドリフト終点を出たぼくは、腰までのラッセルに大苦戦した。ホントにやばいと思ったときに、上から学生が迎えに来てくれて明るいうちにテントに着くことができた。山をなめてはいけないのだ。このときぼくは、大事にしていた耳当て付きハンチングハットをどこかに落としてしまった。それだけ必死だったのだ。
口先クライマーに落ちぶれる前のぼくは、山での失敗はたくさんあったけれど、雪山での失敗は意外とすくない。でも八ヶ岳で手指を凍傷し、エンピツを持てないときもあったし、雪目で両目に眼帯をしろと言われたこともあった。それでも懲りずにまた雪山へ出かけるのはそれだけひきつけられるものがあったからだ。
「雪山・藪山」(山と溪谷社)は、愛読書の一つで、時代は大きく変わっても、共通した山好きの精神がこの本にはみごとに描き出されているとぼくは思っている。著者の川崎精雄さんは、90歳をとうに越えているが、いまでも時折山を楽しまれている。それでも川崎さんは、「年だからもう無理はできないよ」と言いながら若いぼくらを励ましてくれる。昔取った杵柄を良く知っているいい山の先輩だ。
ピッケル
倉庫の中を片づけていたら3本のピッケルが出てきた。1960年代から70年代にかけて使い込んだウッドシャフトのシャルレ・モンブランや、その後使ったメタルシャフトの旧ホープ製プロトタイプとインターアルプだ。いまは、カンプのマカルーだけどちょっと重い。
古い3本のヘッドは叩かれつづけてハンマーの後がたくさんついている。しかしカンプはまだ新しい。こいつのヘッドはきっといつまでもつるつるだろう。いつもホコリかぶっているくらいだから。でもまた、近いうちに冬の山へ連れ出したい。
このNewsletter誌連載の「ピッケルものがたり」が20回目を迎えた。ぼく自身は、ピッケルが岳人の魂などと思ったことはあんまりないのだけれど、冬山登山になくてはならない道具として眺め、先人が使い込んできたオールド・ピッケルを手にしていると、実に味わいのあるものだということがよくわかってくる。だから、本誌連載のピッケルものがたりには根強い読者がたくさんいてくれるのだ。
今月号は「グリベル」でやっと戦後世代にもなじみのあるピッケルが登場してきた。この連載の執筆者はぼくの友人で、彼に頼んでシャルレとインターアルプをピカピカに磨いてもらった。2本ともまるで生き返ったように、戦うピッケルとして蘇ったように見える。
旧ホープは、当時流行したようにピックを曲げてある。こいつは、仮住まいのマンションのベランダで毎晩新都心の夜景を静かに眺めている。もうお前の出番はないけれどせめてぴかぴかに磨いてやるからな。
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