Newsletterより抜粋

文と写真 編集長 黒川 惠
その年最初の渡航先がネパールになってから久しい。昨年冬にやってきてポカラ国際山岳博物館のオープニングを宣伝していったネパール登山協会のアン・ツェリン会長らは、2004年2月5日にグランド・オープニングすることを宣言して帰った。そして私にとって、この年の最初の渡航先がまたネパールに決まった。
1995年12月1日に着工した「国際山岳博物館」の1日も早い完成は、ネパール山岳協会の念願であった。
2004年2月5日、そのグランド・オープニングの式典当日、多くの招待者を迎えたヒマラヤン・リゾートの街、ポカラは好天に恵まれた。日本からの出席者は、およそ100人であったから、年間約2万人がおとずれる日本人がこの1日だけで0.5パーセントやってきたことになる。
とかく、マスコミ等で反政府集団(マオイスト)のことが報道される日々がつづいたネパールだが、カトマンズやポカラ、そして主なトレッキング・コースは相変わらず世界各国からのツーリストやトレッカーで賑わっている。それもそのはず、2003年は2002年に比較して外国人の訪ネ人数は23パーセントも増加し、26万5千人を超えているのだ。
それはともかく、ポカラ国際山岳博物館前の広大な敷地には、各国からの招待者を前にして、数え切れないほど多くの少年少女が学校の制服姿で整列し、着飾った近隣住民が集い、誰しもが華やかなセレモニーの開始をいまかいまかと待ち望む雰囲気に溢れていた。
式典は、定刻に遅れながらもカトマンズからヘリコプターで駆けつけたタパ首相の到着を待ち、きめ細かく計画されたプログラム通りに進行した。
館外には、日本人にとっては特別の山マナスルの大型模型が据えられ、館内に入ると、大森弘一郎さん撮影のヒマラヤの大型写真パネルがとにかく目を引く。壁面に飾られた多くの写真や解説パネル、8千メートル登頂者の使用装備やネパールの民族色豊かなコーナーなど工夫がこらしてある。
ネパール山岳協会は、カトマンズにばかり集中するツーリストの目をポカラにも向けさせるため、この博物館の場所としてここを選んだとのことである。たしかに、ダウラギリからアンナプルナ山群、マチャプチャレからマナスル山群までを眺めることのできる立地は、この博物館の大きな魅力の一つである。
ネパールは、観光立国として極めて大きな可能性を秘めている。とりわけ大ヒマラヤ山脈の存在は計り知れなく大きい。そのヒマラヤをバックボーンとして建設されたこの山岳博物館の発展は、これからの観光立国ネパールの将来を示すバロメーターにもなるだろう。

「グランド・オープニング・セレモニー」の垂れ幕と、
メインステージ上のタパ首相(中央) |

ポカラ国際山岳博物館の大きな建物と、広大な敷地で式典の
開始を待つ少年少女 |

ヤクの着ぐるみで行進する仮装部隊 |

海外からやってきた出席者たち |
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