山旅情報誌 Newsletter


アルパインメイトのご案内


Newsletterより抜粋

 文 編集長:黒川 恵


イラクの人質
 そもそも国民同士の「助け合い運動」の象徴とでも言うべき「年金」なのに未納3兄弟に本人までがまさかの仲間入りをして、弁明に努めた結果党首を辞任した政治家がいたかと思っているうちに、与野党は未納・未加入ドミノで共倒れ状態だ。そんな「魔女狩り」的報道の陰で、声高に自己責任を問われたあの3人の消息はどうなったのか、ぼくはそっちのほうに興味がある。
 「静かにしておいてやろうよ」とも思うけれど、あれだけ世間を騒がせておきながら、「また行きます」と言っている以上きちんと言い分を聞いておきたい気分だ。(ちょっと意地悪)
 でもきっと「まさか、そんな騒ぎになっているとは・・・」と言うのが本音ではないだろうか。あの3人はマスコミの恐ろしさを多分知らなかったか高をくくっていたのではないだろうか。
 はっきり言って、どんなに高邁な考えがあったとしても、プロッフェショナルの世界にアマチュアがリスクを背負ってやるべきことが、それも命がけでやるべきことがあるとは臆病者のぼくにはわからない。異論はあるだろうが、一人の力で実行するストリート・チルドレンの支援や化学兵器の検証が自己満足で終わらないためには世間の理解と協力が相当必要だろうと思う。フォト・ジャーナリスティックな活動が世の中を動かすことはあるだろうし、ハイリスク・ハイリターンは金融業界だけではないことくらい知っている。
 ぼくは、「登山」に関わり続けて以来「自己責任」の呪縛から逃れられないでいる。古くから「ケガと弁当は自分持ち」と言われている登山だけれど、ケガした後のことはいったいどうなるのかと言うと、「それも自己責任だから、自業自得。後は野となれ山となれ」とはゆかない。多くの人々が救助に関わることになる。イラクの人質と同じように山での事故は見捨てられることはない。だから、まっとうな登山者は、他人様に迷惑かけないために精進を重ねて山では事故を起こさないよう努力しているのだ。
 入山前の直前情報、数日前からの気象情報の収集と判断はもとより、自分の体力や技術、知識の集積が事故を未然に防ぐことを、まっとうな登山者は身をもって知っているのである。それが自己の責任の下におこなう行為の裏付けになるからだ。イラクの人質3人が、もしまっとうな山登りをやっていたらと、思うのである。
 「登山は、危険予知能力を高める」と、ぼくは心底信じている。でもそのためには主体的登山をしなければいけない。たとえリーダーがいても「連れていってもらう」心情がどこかに潜んでいると事故につながるのではないだろうかと、最近つよく思っている。

羊蹄山事件
 すでに大きく報道されている二つの山岳遭難事件のうち5年近く前の羊蹄山事件の判決が札幌地裁で下され、業務上過失致死罪を問われていた添乗員は有罪となり、控訴した。それから少ししたら、屋久島で沢登りの大きな事故があり、自営のガイドが家宅捜索を受けている。
 羊蹄山事件のとき、「何でそんなことが起きるのか」とまったく信じられない思いであった。だって、引率者がいる団体登山で、行方不明になって翌日遺体で発見されることなど想像しがたいからである。どこに落とし穴があったのかと考えてみた。引率業務がずさんだったのか、それとも参加者の不注意か、あるいはその合併症か、と考えたが、不可抗力はありえないだろうなと、思っていた。
 判決は、「添乗員は、自集団を形成しなかった。だから参加者は悪天候下で道に迷い遭難し、死亡した」と述べている。添乗員は、羊蹄山の頂上稜線に出るまでに遅れていた2人を待たずに先へ進んでしまったのである。率直に言って、因果関係がちょっと乱暴とも言いたいのだが法律専門家にたてついても無理だろうからやめておく。
 この事件のポイントは、「自集団の形成」で、すなわち当該グループそのものを団体としてきちんとまとめていない、ということだろう。簡単に言えば、「管理不行き届き」なのだ。それが当時の気象状況や現地事情等から判断すれば、罪に問われるということになる。

バスの運転士と乗客か
 多くの登山者が普通に登下降している一般登山道からの転滑落は、小さな石につまづくだけで発生する。ロープを付けていないかぎり、どんなに優秀なガイドが1対1レシオで付いていても起こりうる。それは、明らかに登山者自身の不注意だ。
 しかし、羊蹄山の事故は転滑落でなく、頂稜で2人が疲労凍死しているわけだから、直接原因と間接原因がどうあれ、その厳然たる事実は曲げられない。そこにこの判決の重みがあるというべきだろう。
 「青信号で横断中の歩行者をはねれば100パーセント自動車がわるい」そんなことは子供でも理解できる。しかし、山には信号機がないのだから、登山者は自分の身は自分で守る覚悟をもつべきだと、ぼくはいつも思っている。そしてツアー登山引率者は、自らの業務を信号機の役割と考えるべきだ。しかし引率者は、決してバスの運転士にはなりえない。なぜなら、山は自分の意志と体力で登るものであって、参加者はバスの乗客には決してなりえようがないからである。
 ツアー登山といえども登山であるから、登山者がバスの乗客になりさがったら日本の登山文化は死滅すると、いま、ぼくは真剣に思っている。
(平成16年5月14日記)




戻る