Newsletterより抜粋
文 編集長 黒川 惠
ニュージーランドと香港
ニュージーランド航空がまだ日本へ乗り入れていない頃、マウント・クックやミルフォードの山道を歩くためには、キャセイやノースウェストでまず香港へ行かなくてはならなかった。20数年前、ぼくは何度かニュージーランドを訪れた。そのたびに黄色と赤色が混ざり合う色彩の中、人々が忙しく動き回る香港の町で往復とも宿泊することは避けられなかった。ツアーの参加者は、最初の一泊目は香港の夜景や食事や漢方薬屋など、もの珍しさに意外な興味を示してくれた。しかし、芝草のにおいがたっぷりしみこんだニュージーランド帰りの気分は、帰国前日の香港の一泊でいつも脆くも崩れ去ることになった。「ニュージーランドの気分が台無しだよ。」と言われても当時はニュージーランドへの直行便がなかったのだからぼくにはどうしようもないことだった。
だけど、香港の名誉のために言うと、香港が悪いわけではない。ニュージーランドがあまりにも自然の美しさに恵まれていて、人よりも羊のほうが多くて、氷河の山が目の前に迫ってくるのだから、世俗的な猥雑さに溢れている香港とは、魅力の仕組みということに大きな違いがあるのだ。香港の魅力に取り憑かれた人たちは、ニュージーランドは田舎臭くて、自然ばかりでなーんにもなくて、つまらない、と言うかもしれない。
香港は、東南アジアを代表する観光地であり、アジアのニューヨークとも形容されるビジネス・センターである。1997年の中国への返還は、一大香港ブームを起こし、訪問客が殺到し、ホテル代の急騰も招いた。しかし、その後の香港は、特徴的な観光資源をアピールできず、「顔」がないまま今春の新型肺炎の流行によって、ついにどん底まで突き落とされ、失業率も高まった。とくに観光業界は大打撃を受けた。
そこで香港政府観光局は、Hong Kong welcomes youのかけ声の下、新型肺炎のダメージから立ち直るべく大キャンペーンを打ち出した。ぼくは、先週末からたった3日間であったが日本からの代表団の一人として香港へ出かけた。せっかく行くのだから、香港の山歩きを楽しもうと考え、香港の山野にくわしいわが社のスタッフからレクチャーを受けることにした。
ロンケー湾から西湾山登山
大陸側の東端にサンクン半島があり、その南東には入り江の美しいロンケー湾がある。西湾山は、標高300メートル余りの小さなピークで、この途中から見下ろす海岸線は一際美しい。と、ぼくは教えられたのだが、まったくそのとおりでウソではなかった。
香港在住13年目で、香港の山を紹介するガイドブックも出版している森久三代子さんと日本語が上手で山好きな葉青年とぼくは、8月17日の朝7時半に九龍のホテルを車で出発し、パクタムチュンで、「カントリーパーク」に入るためタクシーに乗り換え、ハイアイランド貯水池の南岸を走りトレールヘッドへ向かった。
暑い一日だった。風邪気味だったぼくはのっけから大汗をかいた。熱中症になってしまうのではないかと心配しながら歩き通した。稜線上ではウィダーインゼリーを2袋イッキ飲みした。トレールのかたわらには大ぶりの野ボタンがわんさかと咲いていた。タンポポも、ランの仲間も見つけた。きれいなピンクの花の名前は聞いたけれどわすれた。
夏は暑くて湿度が高いわりには見晴らしはよいらしい。たしかにむっとした空気を通して貯水池の向こうの大蛇頂山まではっきり見える。秋から冬なら暑くもなく寒くもなく、香港ハイキングには最適だ、と葉青年と森久女史は口をそろえる。
トレールヘッドから少し登って下ったロンケー湾は小さな入り江で、白い砂浜にはだれもいなかった。ヤブの中から突然大きなヘビが出てきて森久女史が悲鳴をあげた。近くにはキリスト教の施設があり、どことなくエキゾチックである。西湾山へは急な登りがつづくが海からの風が心地よい。コルへ出たところで香港人の4人組が追いついてきた。4人ということは、毎年11月に開催される100キロのトレールを48時間以内で踏破する「トレールウォーカー」へ挑戦するチームのトレーニングにちがいない。
西湾山頂上には三角形の標注があった。香港人は三角点と呼んでいるらしい。
4人チームはもうずっと先で姿も見えなくなった。道はここから下りとなり、サイ湾への道を分ける所までくるとなんだかやたらと人がいる。みんなタンクトップやサンダル履きで、車道終点から1時間かけて海水浴のために歩いてきた人たちだ。
ここからは山肌を縫うように小1時間で路線バス終点のトレールエンドについた。ここからはさらに歩けば90分かかる。少し迷ったが結局海水浴客を乗せてきたタクシーを拾い、10分で今朝の出発地パクタムチュンへもどることができた。一日の行動時間約3時間半。ぼくにとっては初めての香港山野散策はあっけなくおわった。とはいえ、ダウンタウンの高層ビル群からわずか1時間でこんなにも自然豊かで、ノスタルジックでエキゾチックなヒル・ウォーキングができるとは、香港もやるものだ。香港恐るべし。
次ぎの機会を得たら、新しく国際空港もできた西の大きな島、ランタオ島を歩いてみよう。と、考えながら九龍のホテルにもどる。夕方からは香港観光復興のための重要会議だ。
ポテンシャル
高級グルメやブランド・ショッピング、あか抜けたホテルのサービス。香港は、世界でも指折りの観光地であることに間違いはない。そして自然の宝庫であることもまた正しい。その自然をどのように楽しむか、その魅力をどう引き出すか、その答えを出すことは、専門特化のぼくらの仕事だ。
「顔」のない香港を、厚化粧でなく「もう一つの顔」として、自然とのふれあいを軸としてきちんと現わすことは、香港の潜在的魅力を表面に押し出すことになる。日本からわずか4時間足らずのところで絶好の自然散策ができることをもっとたくさんの人に知ってもらってもよいだろう。
ニュージーランドからの帰国時にその残像を脆くも崩した香港は、たった半日の山野散策で香港自身の新たな印象をぼくの心のなかにはっきりと刻みつけた。それだけ香港には潜在価値がまだまだあるということだ。
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