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Alpine Square / アルパイン広場

12月1日出発 パラオ最高峰ゲルチェレチュース山ハイキングと南の島の大自然満喫 6日間

12月1日出発 パラオ最高峰ゲルチェレチュース山ハイキングと南の島の大自然満喫 6日間

パラオ最高峰

翌日はメイン目的のパラオ最高峰ゲルチェレチュース山ハイキングです。一国の最高峰ですが、標高は242m。登山口も90mほどのため、登山というよりは、軽ハイキングです。
生憎の天気でしたが無事登頂しました。この山はパラオ人にもほとんど知られておらず、この山がパラオに来た目的だと伝えても、その魅力をパラオ人に理解してもらうのはとても難解でした。パラオにはハイキング・登山の文化が浸透していないためです。最高峰が242mで国土のほとんどが樹林に覆われているため当然のことですが。。。
雨の中、近くにあるガラツマオの滝にも訪れました。滝の真下に立ち、ものすごい水圧を感じながらの行水となりました。夕食はコロールの居酒屋です。店内には座敷があり、畳の上で日本酒を飲み、食卓には揚げ物や、お刺身が並んでいます。まるで日本の山に登ったあと、最寄り駅の居酒屋で食事をしているかのような雰囲気でした。
 

豪快なガラツマオの滝豪快なガラツマオの滝

ミクロネシアの小国パラオ

パラオ共和国は私の中で“世界一親日的な国”です。パラオは太平洋に位置し、ミクロネシア地域の約586の島(そのうち有人島は約9島)からなる共和制国家です。人口は約21,000人、国土面積は屋久島と同程度です。日本からの位置関係は神戸から真南に3,000kmです。
日本の統治時代は第一次世界大戦開戦後から太平洋戦争終戦までと長く、この間に日本語や文化が浸透しています。そのため、現在でもパラオ語の中に多くの日本語が残っており、
現地を訪れるとある程度の意思疎通ができます。例えば扇風機「センプウキ」、ビールを飲むこと「ツカレナオス」、大丈夫「ダイジョウブ」、ブラジャー「チチバンド」など。また、日本の援助によるインフラが多く、日本から来たと伝えると、歓迎ムードが広がります。コロールのレストランは日本の居酒屋が多く、日本と変わらない料理が提供されます。もちろん日本語も通じます。町の雰囲気としては海外というよりは石垣島などが近い印象です。

パラオにあるヤップマネーパラオにあるヤップマネー

パラオ・ロックアイランド

2日目はパラオが世界に誇るロックアイランドを巡りました。まずはミルキーウェイです。
美しい海を貸切ボートで快走し、粉砕された石灰岩が海の底にたまった場所に停船し、スタッフが海底から白い泥パックをすくい出し、全身に塗ります。物凄い見た目で皆さん大盛り上がりでした。その後はマカラカル島に移動し、島内にあるジェリーフィッシュレイクを訪れました。この湖には毒針の退化したクラゲが大量に生息しています。朝の時間帯は太陽のあたる対岸に点在しているので、ライフジャケットを付けて200m程泳がなければなりません。「頑張りましょう!」と声をかけながら泳いで無事クラゲと戯れることができました。帰り際にはビッグドロップオフというシュノーケリングポイントへ。ここは岸から僅か10mほどの場所で一気に深さ650mの断崖が続く場所になっており、断崖に張り付くように珊瑚やトロピカルフィッシュが泳いでいます。「いままでのシュノーケリングとはレベルが違いすぎる!」と大満喫されていました。あまりの美しさに涙を流す方もいた程です。

ミルキーウェイでパック体験ミルキーウェイでパック体験

ペリリュー島へ

ペリリュー島は第二次世界大戦の激戦地として知られている場所です。終盤戦となる1944年9月15日から11月27日まで日本軍とアメリカ軍との激しい戦闘が繰り広げられました。当時日本は本土爆撃を回避すべく絶対防衛圏の死守が大本営の中で声高になっていた時期です。陸軍・中川大佐率いる部隊が今までとは異なるゲリラ戦を展開し、3日で終わるとされていた戦いが1ヶ月以上に及ぶことになったのです。終戦後、ペリリュー島の戦いはそのあまりの激しい戦闘から、語り継ぐ人も少なく、「忘れられた戦い」とされていました。
2015年に上皇上皇后が現地を慰霊訪問され、NHKドキュメンタリーなどに取り上げられ、日本でも知る人が多くなっています。実際に現地を訪れてみると、そこには生々しく残された司令部跡や廃戦車、壕などが散在していました。ガイドがアメリカ軍上陸からの当時の話をくわしく語り、私たちはその話を聞きながら島内を回りました。

ペリュリュー島の上皇后陛下休憩所ペリュリュー島の上皇后陛下休憩所